便利屋AIAIの事件簿⑴~秩父夜祭ドッペルゲンガーの秘密~ 山崎丹生

ピン! と机上の美紀(みき)のスマートフォンが震えて、メッセージの着信を知らせた。

 十二月三日、夜。

 美紀は暇つぶしのネットサーフィンの手を止めて、PCの傍らに置いたスマートフォンを手に取る。

『これ、ミキの彼氏?』

 黄緑のアイコンをタップしてスマートフォンの画面に表示させたメッセージには、ほぼ同時に送られてきたと思しき写真が続いて表示されている。

 夜の人ごみを撮ったと思われる写真で、映りはかなり不鮮明だが、写真中央部にうっすら浮かび上がっている白い顔は確かに美紀の彼氏の義昭(よしあき)とうり二つだった。

 ピン! と音を立ててまたメッセージが送られてくる。

『今秩父の夜祭に来てるんだけど、ミキの彼氏っぽい人が女連れで道路の向かいにいる』

 美紀はメッセージの主を確かめた。友人の紗月(さつき)だ。彼女は義昭と会ったことがある。視力は良いし、観察眼も鋭い。彼女が言うならば、それは義昭で間違いあるまい。

(あいつ、また……)

 美紀は唇をかみしめた。義昭の浮気癖は今に始まったことではない。付き合い始めた大学時代に二回、就職してから三回。いずれも浮気相手とはすぐ終わったとはいえ、本気で別れようと思ったことは一度や二度ではない。それでも、もうそろそろお互いをそれぞれの両親に紹介する頃合い……と話し合ったばかりだ。なのに、また?

 美紀は義昭専用のスマートフォンを手に取った。恋人同士は専用の携帯を持つべきだ、というよくわからない義昭の主張によって、美紀はプライベート用のスマートフォンを二台持っている。最初は何のために、と疑問だったが、確かに義昭には専用のスマートフォンで連絡したほうが何かと都合がよかった。例えば、今とか。

 美紀は素早く義昭に電話をかけると、空いた片手で紗月にメッセージを送る。

『そうかも。今、あいつに電話かけてる。その男は電話に出る?』

 紗月の見つけた男が今この瞬間、電話に出れば、その男は義昭で確定。後ほど浮気を追及して否定されても、この証言があれば証拠になる。

『何? 今、外なんだけど』

 呼び出し音の後、不機嫌な声で義昭が電話口に出た。

「やっほー、義昭。今どこ?」

 適当に言葉を交わしながら、美紀は紗月からの返信を待った。やがて、ピン! と着信。

『ごめん。屋台に遮られて、様子見えない。でも、屋台の中で太鼓叩いてるらしいよ。聞こえない?』

 続いて写真が送られてくる。

 確かに、豪奢な屋台と提灯、法被姿の人々が画面いっぱいに収まっていて、その向こう側は見えなかった。

 美紀は以前、会社の同僚が秩父夜祭に行った際の感想を思い出す。

「山の中の田舎なんだけど、大勢の見物客ですごいにぎわってたよ。街中を豪華な屋台が何台も曳き回されるんだけど、屋台からずーっと独特なリズムの祭囃子が響いていて、離れていても今どのあたりに屋台がいるか屋台囃でわかるの。面白かったよ」

 美紀は電話の義昭の声の向こうに耳を澄ました。

 人々のざわめき。

 木枯らしの音。

 店の呼び込みの声。

 屋台囃の音は聞こえない。

「義昭、ひょっとして、お祭りに行ってない? 後ろから屋台囃が……」

 カマをかけてみた。

「はァ? 聞こえるわけないだろ! 用ないなら切るぞ!」

 通話が切られた。

 美紀は釈然としない思いで、紗月に屋台囃は聞こえなかったとメッセージを送る。

『え、嘘? 今、目の前にいるよー。ホラ』

 ピン! と写真の着信。

 屋台の後方部が写真の一部に映っている、その画面の中央で、義昭そっくりの顔の男は確かに笑っていた。

 一週間後、池袋。

 女性に人気のカフェで、美紀は大学時代の友人とランチを摂っていた。

 友人の名は、釈氏(しゃくし)奈津子(なつこ)。ロングヘアに広い額、切れ長の目に薄い唇。肌は白くスタイルは抜群、美紀が男なら放っておかない程の美女だが、なぜか学生時代から一回も異性関係の噂を聞かない。

 彼女は大学を卒業後、地元の埼玉県秩父市に戻って、小さな事務所の事務をしているという話だった。

 美紀とは服装や雑貨の趣味が一緒で、カフェめぐりが好きという点も共通なので、二~三ケ月に一回、こうして池袋近辺のカフェでランチをしてから一緒に買い物するという仲だ。秩父市からは特急一本で池袋に来ることができ、美紀の住まいからもJR山手線ですぐなので、ふたりとも会うのは池袋近辺が都合がいいのだった。

「へぇ。紗月ちゃんが人を見間違えるなんて珍しいわね。一回会っただけの人でもすぐ顔を覚えちゃう子なのに」

 紗月とは奈津子も共通の友人なので、三日の夜の話をすると、彼女はそんな感想を漏らした。

「でも、一概に見間違いとも思えないのよね。最近、義昭、どうも様子がおかしくて、そのおかしさ具合が今までの浮気の時とそっくりなのよ」

 美紀がため息をつくと、奈津子は目をぱちくりさせる。どうも表情の作り方がアニメティックな女性なのだ。

「見間違いじゃなく、本物の加藤くんだったってこと? でも、祭囃子、聞こえなかったんでしょう?」

 義昭の本名は加藤義昭。大学からの付き合いだから、当然、奈津子とも知り合いだ。

「秩父の屋台の祭囃子がすぐ横で鳴っていて、スマートフォンが拾わないとは思えないんだけど」

 奈津子は埼玉県秩父市在住。当然、秩父夜祭には毎年行っているし、屋台も毎年見学している。

「そうなのよね。でも、そうなると、紗月が見たのは誰? 小学生の時流行ったドッペルゲンガー?」

 美紀は肩をすくめて見せる。

 ドッペルゲンガー。血のつながりのないうり二つの他人。小学生の頃に流行った怖い話の本には、会うと死ぬとか、世界には自分のドッペルゲンガーが三人いるとか、いろいろと疑わしいことが書いてあった。

「う~ん」

 奈津子はうなって、デザートのヨーグルトを口に運んだ。

「うちの所長に相談してみる?」

「へ?」

 唐突な発言に、美紀は虚を突かれた。

「所長、元探偵だし、そこそこ頭が切れるし、頼りになると思うよ」

 勧めてくる奈津子に、慌てて美紀は尋ねた。

「待って、奈津子。あなた、どこで働いてるんだっけ……?」

 あ、そうか、と奈津子は思いついたように笑った。

「言ってなかったっけ」

 横の椅子の上に置いていたバッグから名刺入れを取り出し、名刺大のカードを取り出して、美紀に見せる。

『犬の散歩からおばあちゃんちの電球の取り換えまで、なんでも承ります

 便利屋AIAI

 埼玉県秩父市○○ 甲山ビル3F

 TEL:XXXX-XX-XXXX』

 美紀は目を見開いた。

 数日後、美紀は有休をとって、彩部(さいぶ)秩父駅に降り立った。

 十二月も第二週となり、冬場の冷え込みはますます強くなっている。

 美紀は裸の手でコートの裾を強く握りしめた。

「おや、寒そうな手をしておいでだ、お嬢さん。よかったら私とカッフェでもご一緒しませんかな?」

 突然時代がかったセリフを聞かされて、美紀は驚愕に飛び上がった。

「きゃあ!」

「所長!」

 奈津子の声がして、美紀はすぐ隣に電柱のように背の高い男が奈津子とともに立っていることに気が付いた。

「な、奈津子?」

「美紀。いらっしゃい。驚かせてごめんね?」

 奈津子は普段のコンサバな格好から黒いタイトスカートとキャメルブラウンのボアコートに姿を変えていた。化粧もいつもより若干地味だ。

 そして、隣には重そうな黒のコートを羽織った、痩せて背の高い男がにこやかに笑みを浮かべて立っていた。

 彼は目がぎょろぎょろしていて耳がでかく、口は横に広がっていて、まるで……そう、猿のアイアイに似ていた。

(だから便利屋AIAIなのかしら)

 美紀はそう思ったが口には出さず、「寺山美紀です」と名乗る。

 男は大げさに会釈し、

「奈津子くんから話は聞いております。私は便利屋AIAI所長の草鞋勝也(わらじかつや)と申します。私が来たからにはもう心配ありません、謎はたちどころに解け、春の空気に氷解するでしょう」

 今は冬である。

 美紀は目で奈津子に(本当に大丈夫なの、この人?)と尋ねたが、奈津子は(まぁ頭は悪くないのよ、頭は……)と目で答えるのみだった。

「では、早速信濃さんから送られてきたという恋人の写真を見せていただけますかな?」

 信濃とは紗月の苗字である。美紀が草鞋に紗月から送られてきた祭りの中の義昭の写真を見せると、草鞋は眉をしかめた。

「思っていた以上に画像が暗いな。しかし、人物の特徴は捉えている。確かに、彼氏さんですか?」

 美紀は頷いた。

「顔も表情の作り方も義昭そっくりです。でも、電話を掛けたら違うと言われて、その後会った時に尋ねても否定されて、私はどう考えたらいいのか……」

 草鞋は美紀を元気づけるように力強く言った。

「こういうことの真実は単純なものと相場が決まっています。彼氏にうり二つの赤の他人が存在するか、彼氏が嘘をついているか、結論はふたつにひとつしかない。これから調べて、どちらなのか見極めましょう」

 草鞋は奈津子と美紀を促して歩き始める。

「まずは秩父夜祭の屋台のルートを歩いてみましょう。信濃さんは屋台の向こう側にいる彼氏さんを目撃している。つまり、彼がいたのはルート沿いです」

 秩父夜祭は毎年十二月一日から六日にかけて行われる秩父神社の例祭である。本祭は三日に行われ、豪奢に飾り付けられた六台の屋台と傘鉾が秩父屋台囃子に乗って秩父市内を曳き回される。屋台は秩父神社から秩父市役所前の御旅所に向けて約一キロの道のりを移動するのだが、屋台が御旅所前の急な団子坂を大勢の曳き手によって曳き上るクライマックスは毎年テレビでも中継され、祭りの最大の見どころとして有名である。

 草鞋はそんなことを説明しながら、秩父神社の鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れた。まずは出発地点というわけである。

 境内には、石の通路が埋め込まれている。その上を枯葉が転がっていく。美紀は石の通路を視線でたどって石段の上に目をやった。朱色の門が冬の陽光に照らされている。

「せっかくですし、お参りしますか?」

 草鞋の気遣いに、美紀は首を振った。

 彼は背負っていたデイバッグから地図を取り出して広げ、さて、と呟いた。

「写真に写っていた法被姿の人間の法被の背中には○中とあった。つまり、屋台は中宮地のもの。ということは、中宮地の屋台のルートはこうこうこうだから……」

 宙に指で順路を書く草鞋に、

「ちょっと待ってください、所長。ルートがわかっているなら、わざわざ出発地点から調べなくても、駅から直接ルートへ入ればよかったのでは?」

 と奈津子がもっともなツッコミをする。

 草鞋はきょとんとして、

「しかし、それでは遠回りにならないから、観光名所が見られないぞ」

「観光名所?」

「ここに来るまでにも見ただろう、新しい市役所とか、亀の子石とか」

「見ましたけど」

 奈津子は困惑した表情で美紀を振り返った。

 美紀は秩父神社に来るまでに立ち寄った場所を思い出した。

 新築されたばかりだという市役所は広く近代的で、秩父の様々な情報に触れることができた。また、市役所前の御旅所では鳥居や、祭の際に女神の乗り物になるという亀の子石を見た。亀の子石は白木で作られた囲いに囲まれ、触れることはできなかったが、亀とは思えない牙の生えた顔面など、間近で見られた。

 昼食を摂る際は、草鞋は秩父に古くからある喫茶おフランスのカツ丼が食べたいと主張したが、奈津子はあまりにも年代物のその外観を美紀に見せるのが忍びなく、すぐ近くのカレー屋カルツォーネに案内した。白い外壁が綺麗で内装も感じがよく、ひげでメガネのダンディな主人がおいしいキーマカレーを給仕してくれたので、美紀は(秩父もなかなかうやるじゃない)と思った。

 そういえば、草鞋は秩父神社前のジェラート店では銘酒秩父錦のジェラートを冬にも関わらず食べさせたがったし、まさか、いや、もしかして。

「……もしかして所長、美紀に、秩父観光案内してます?」

「どうせ秩父に来てもらったのなら、ついでに楽しんでもらおうと」

「大きなお世話です!」

 奈津子の叫びが秩父神社の境内に響いた。

 冬の空は高く、彼女の叫びをどこまでも吸収していった。

 草鞋はふたりを先導して中宮地の屋台のルートを歩き始めた。

 秩父神社を出発してすぐ右折し、コンビニで左折して本町通りに入る。本町通りは秩父の中心部を通っており、道の両脇に様々な店舗が並んでいる。今も右手に平屋の飴色の建物が見え、左手に和菓子屋の看板が立っている。

「寺山さん、もう一度、祭りの夜の彼氏の写真を見せてもらえませんか。……あ、この和菓子屋、裏ではケーキを売っていてそれも繊細な味でおいしいんですよ」

 草鞋は傍らの和菓子屋を指さした。いちいち観光情報を付けなくていい。

「ん~。彼氏の後ろに、建物が見えるな。壁が茶色い……いや、丸太、か? ログハウス?」

 草鞋はパチィン! と指を鳴らした。

「この通りでログハウスといえば……!」

 草鞋は小走りで通りを直進した。医院を過ぎ、スポーツ店を過ぎ、平屋のログハウスの前にたどり着く。ログハウスの上部にかかった看板は”秩父通商館”だった。

「ここは土産店やら喫茶店やら、いろいろな店が出たり入ったりする建物なんですよ」

 説明しながら、草鞋は美紀と奈津子に持っていたスマートフォンの画像を見せる。

「ほら、美紀さんの彼氏の後ろにある建物はこの”秩父通商館”でしょう」

 ふたりは目を凝らして画像と目の前の建物を見比べる。何しろ昼と夜だから建物の印象が全然違うし、画像の建物は人ごみの向こうに立っているから詳細は分からない。しかし、どうやら同じだと頷きあった。

「となると」

 草鞋はつぶやき、しばし腕を組んで黙考した。

 奈津子がぎゅっと両手を組み合わせて祈った。

「所長の灰色の脳細胞が正解を導き出しますように……!」

「草鞋さん、別に若白髪じゃなくない?」

 美紀は探偵ものを読まないので、奈津子の祈りの意味が分からなかった。

 やがて草鞋は腕組みを解き、真剣な表情でふたりを見た。

「奈津子くん。美紀さん。間違っていたら申し訳ないのだが」

 草鞋は尋ねた。

「信濃紗月さんは、もしかして聴覚に障害をお持ちじゃないかね?」

 美紀は驚いて頷いた。

「そうです。高校生の時、事故で頭を打って、耳が聞こえなくなっています。発話は問題ないんですがこちらの言うことが聞こえないので、普段はスマートフォンのメッセージアプリで会話しています」

 奈津子も頷く。

「でも、どうして? 私、それは伝えてませんよね」

 草鞋は頭の後ろに手をやって、”秩父通商館”の看板を見上げた。

「そうじゃないと、理屈が通らない」

 草鞋はふたりを手招いた。

「ついてきたまえ」

 草鞋は通りから直角に曲がった、細い道に二人を誘導する。

「口で説明するより、見たほうが早い」

 草鞋がふたりを連れてきたのは、少々歩いた場所にある駐車場だった。停められている自動車の数は少なく、端っこに大きな木が一本生えており、その隣に小さな社と看板が建っている。

「こんなところ、あったんですね」

 地元民の奈津子が意外そうに口にした。

「まぁ、小さい社だし、知っている人はそう多くないかもな」

 草鞋は言って、奈津子に尋ねた。

「奈津子くん、秩父夜祭の神話は知っているかね?」

「秩父夜祭の神話?」

 奈津子は目をぱちくりさせて、

「それって、アレですか。秩父神社の男の神様と、武甲山の女の神様が祭りの夜にデートするっていう」

 草鞋は頷く。

「武甲山はあの山」

 草鞋は秩父神社とは反対方向にある、てっぺんに幾重もの溝が刻まれた大きな山を指す。

「秩父神社はあっちで、逢引する御旅所は向こう」

 草鞋は秩父神社の方向を指し、それから反対方向の御旅所を指す。

「ここは秩父神社から御旅所へ行く途中にある」

 ふたりは頷いた。それがどうした?

「で、この社が、諏訪神社。祀られているのは秩父神社の男神の正妻だ」

「え?」

「……正妻?」

 奈津子と美紀が交互に声を漏らす。

 草鞋は頷く。

「秩父夜祭は不倫の逢引なんだ。しかし、男神が逢引の現場に行くには、正妻の神社の前を通っていかねばならない。屋台は男神の乗り物だ。屋台に屋台囃はつきもの。しかし、逢引に行く男がにぎやかに正妻の前を通ったら、どうなる?」

「とっちめられますね」

 奈津子があっさりと言った。

「そう。————夜祭を始めた大昔の秩父人もそう思ったんだろう、秩父夜祭の屋台運航には、ある特殊な風習がある」

「特殊な風習?」

 美紀がオウム返しに言う。

「屋台が諏訪神社の前を通る間の二~三分間は、屋台囃を演奏するのをやめ、静かに通り過ぎる」

 美紀は目を見開いた。

「その風習は、屋台が本来の番場通りから本町通りへ曳かれる通りを変えてからも続いている。つまり、今年も」

 草鞋の真剣な目が、美紀を見た。

「つまり」

 奈津子が言った。

「加藤くんが美紀の電話に出たとき、屋台囃はそもそも鳴っていなかった?」

「おそらく、な。しかし、信濃さんは耳が聞こえないから、屋台囃が鳴りやんだことに気づかず、鳴っている前提でメッセージを送ってしまったんだろう」

 草鞋は頷く。

 奈津子はおそるおそる、美紀の様子をうかがった。

「……あいつ……!」

 般若。

 一言、そう言っていい表情を彼女はしていた。

「ま、まぁまぁ、寺山さん。奈津子くんのように、存在しない人間に恋心を抱くより、実際の人間に恋をしているあなたの方が数段まともだ。男はこの世に一人じゃない。どうか気を落とさないでほしい」

 美紀はきっと草鞋をにらんだ。

「世の中に男が何人とかそういう問題じゃな————存在しない人間?」

 美紀は奈津子を見る。

「ちょ、所長、私の男性の趣味はいいんですよ!」

「奈津子くんも、シ○ィーハンターのサエ○゛リョウが理想とか言ってないで、いい加減に現実を見た方が」

「所長!」

 奈津子が顔を真っ赤にして、手に持っていたハンドバッグで草鞋の顔面をぶん殴る。

「奈津子、あなた、夢女子だったの……?」

 美紀は信じられないものを見る思いで奈津子をまじまじと眺めた。

 夢女子とは、漫画やアニメやゲームのキャラクター等、二次元のキャラクターとの恋愛を妄想するのが好きな女性の通称である。

 美紀はふと思い当たった。

 そういえば、奈津子と会うのはいつも池袋近辺だった。

 池袋には、おしゃれなカフェがある。

 デパートもあるし、ファストファッションの店もある。

 水族館も巨大商業施設もある。

 そして、乙女ロード(池袋周辺の女性向けオタクの店が集まった区域の通称)がある。

 美紀は、奈津子が異性に全く興味を示さない理由がわかった気がした。

「結局、美紀は加藤くんと別れることにしたそうですよ。結婚を考えるようになったのに、それでも浮気するなんてもう信用ならないって」

 数日後、彩部秩父駅前、甲山ビル三階、便利屋AIAI事務所。

 奈津子は自分の机でお茶をすすりながら、所長用の机に座っている草鞋にそう報告した。

 草鞋は傷だらけの顔面から絆創膏をはがしながら、

「そうか。まぁ、そうなるだろうな」

 と受け答えた。

「やっぱり、現実の男性はダメですね。でも、私のリョウ様はカオリちゃん一筋……!」

 奈津子はうっとりと目を閉じる。

「私の記憶によると、リョウ様とやらは依頼人の女性にセクハラを繰り返していたと思うんだが」

「カオリちゃんが一〇〇tハンマーで成敗していますから大丈夫です!」

 何が大丈夫なんだ。

 草鞋は内心そうツッコんだが、この話題に関して奈津子に余計なことを言うとひどい目に遭うと身に染みて知っている。

 その時、事務所のドアをコンコンとノックする音が響いた。

「はーい?」

 奈津子が応答する。

「すいません、一階の掲示板でバイト募集の張り紙を見て来たんですけど」

 ドアの向こうから、小柄でぽっちゃりな青年が顔を出した。

 彼の名前は札所巡(ふだしょめぐる)。

 これから便利屋AIAIでアルバイトすることになる大学生である。

(おわり)