秩父人に聞く

宮の森で生まれた活動家、黛宮男氏に聞く

黛 宮男氏
昭和25年11月1日生まれ 67歳
昭和43年、県立秩父農工高等学校食品科を卒業。在学中の恩師の影響もあって、卒業して間もなく日本共産党に入党し、銀座アスターに就職。2年間勤めた後、地元へ帰り家業の五十番食堂を継いだ。日本共産党幹部になると仕事と政治活動の両立が困難になることが想定され、平成18年に離党し、代わりに民主党に入党。そして食堂は、5年前に廃業、貸店舗にして現在に至る。

ライフワークは、政治活動。その原点には、秩父困民党への共感がある。秩父困民党は、明治17年10月31日から11月9日にかけて、明治政府に対し負債の延納、雑税の減少などを求めて武装蜂起した事件。黛宮男氏の誕生日が、たまたま下吉田村、椋神社武装蜂起の日である。庶民の窮状を政府に訴えた、当時の庶民の行動力を現代に復活させたい。そんな思いを抱いている。秩父に住む人々の「祭り」に対するエネルギーを政治に活かすことができれば、権力による支配構造を変革できるのではないか。と密かに信じている。

平成18年、22年、26年と過去3回にわたって秩父市市議会議員選挙に無所属で立候補。いずれも落選した。しかし選挙で落ちるたびに頭を切り替え精神的に強くなってきたことを実感。3回目となる平成26年の選挙活動においては、市内12,000戸へのチラシ全戸配布を半年間毎週土日を使って一人で実行した。平成28年からは、選挙活動とは切り離して、自家用車に「庶民を議会に送り出す会」と書かれたポスターを貼り、スピーカを取り付け、自らの政治的信念をその時々の状況に応じて訴えながら市内を循環している。そして、平成30年4月22日の秩父市議会議員選挙には、候補者として4回目のチャレンジをする。

また平成21年11月には、縁あって浦和在住の篠島実氏と一緒に武甲山の破壊に悲しみの祈りと感謝の気持を伝える「ぼくたちでつくる写真展」を秩父じばさんセンターで開催。そのときの入場者数は、延べ1,000人を超えたという。じばさんで3回実施した後、浅賀信太郎氏が加わり「ありがとう武甲山Day」というイベント名で毎年続いている。

黛宮男氏は、自らの政治的活動を通して、多くの一般市民に政治への関心を持ってもらい、選挙で投票をすることにより、特定の人だけがいい思いをする社会を変革する力を醸成させていきたいという信念を持っている。そして武甲山の石灰岩採掘を一時的にでも中止することができたら、武甲山を再生へ向けて方向転換できれば、それを切っ掛けとして秩父地域に住む人々の政治意識の変革に繋げることができるのではないかとの希望を持っている。