便利屋AIAIの事件簿(8)〜聖神社・奇妙なジンクス〜

便利屋AIAIの事件簿㉀〜聖神社・奇妙なジンクス〜

 

1 その噂を最初に仕入れてきたのは、便利屋AIAIで唯一FacebookもTwitterもLINEもやっているアルバイトで事務所一の社交家の札所巡(ふだしょ・めぐる)であった。

「国道沿いに聖神社(ひじりじんじゃ)ってあるの知ってます? 最近、ネット上でそこの妙なジンクスが流行ってるらしいんですよ」

次の依頼に行くまでの時間を事務所で書類整理してつぶしていた所長の草鞋勝也(わらじ・かつや)と事務員の釈氏奈津子(しゃくし・なつこ)は、巡の発言に首を傾げた。

「聖神社とは、和銅遺跡の隣にあるあの神社か。確か金運のご利益があるとか」

「最近、テレビ番組で紹介されたりして有名になっているところよね。そこがどうかしたの?」

SNSを駆使するどころかガラパゴスケータイの操作もおぼつかない草鞋と身内との連絡でLINEを使用するくらい(しかしオタク活動用にTwitterのアカウントは複数持っている)の奈津子は、ネット上の噂に疎い。

ふたりは書類整理の手を止め、来客用のソファで麦茶を飲んでいた巡の傍へ近寄った。彼の手にするスマートフォンの画面を覗いてみると、『効果てきめん! 秩父のパワースポット、聖神社で一攫千金?』と派手なフォントの文字が踊っている。

聖神社とは秩父市黒谷にある神社である。飛鳥時代に自然銅が秩父で発見され、日本最初の流通貨幣である和同開珎鋳造を契機に作られたとされ、金運招来のご利益があるとして有名だ。歩いて十五分ほどの距離に銅採掘跡の和銅遺跡があり、和同開珎の巨大モニュメントがある。秩父がパワースポットとして注目され始めて以降、聖神社も観光の話題にあがることが多くなり、TV番組の取材も時々訪れる。

巡の示したスマートフォンの画面には、その聖神社に宝くじを一晩供えると、宝くじの当選確率が飛躍的にアップするという胡散臭いジンクスが語られていた。しかも、その条件がやたらと多い。

いわく、宝くじはバラ十枚セットで買って袋から絶対出すな、とか。

いわく、聖神社に供える前に「秩父清らか」という秩父のあちこちで売っている秩父ブランドのミネラルウォーターで袋ごと洗え、とか。

いわく、供える方法は聖神社の境内の社務所前にあるご神木の枝に宝くじを袋ごと吊るすのだ、とか。

草鞋は眉をしかめて画面を見、そのままの視線で巡を見た。

「何だこれは?」

「さぁ。でも、けっこう話題になっているようですよ。このページでは宝くじですけど、ロト6でこれを試した人がいて、三十万円当てたとか」

「さんじゅうまん?!」

草鞋が色めき立ってスマートフォンにかぶりつく。巡は迷惑そうにそれをよけた。

「和銅遺跡の近くの川で小銭を洗ってお賽銭にすると金運がアップするっていう話は聞いたことありますけど、それは初耳ですねぇ」

奈津子がのんびりした口調で言う。

「それは私も聞いたな。そちらが本式のはずだ」

草鞋が姿勢を正して腕を組んだ。先ほどのがっついた表情はもう見えない。プライドの高い男なのである。

「しかし指定が細かいな。バラで宝くじを買えだの『秩父清らか』で洗えだの、妙に具体的なわりにそうしなければいけない理由が見えん。くだらないいたずらじゃないか?」

巡は頷いた。

「そう思いますけど、秩父の神社でこういう噂って珍しいから、面白いじゃないですか。Twitter上でも結構リツイートされてるんですよ、このページ」

「ふむ」

草鞋は生真面目な表情で頷いた。

「Facebookでもこの噂を投稿すると結構いいね! がつくし、実際試した人もいるみたいですよ。LINEで友達が言ってました」

「ふむ」

草鞋はまた、生真面目な表情で頷いた。

「複数のまとめサイトでも既にこのジンクスのまとめが——」

「巡くん」

既に机に戻って作業を再開した奈津子が声をかけた。

「所長をあんまりからかわないであげて。所長も、わかったふりして頷かなくてもいいんですよ」

携帯メールを扱うのでやっとの草鞋にSNSやまとめサイトの用語がわかるはずがない。

巡は承知の上で話していたのだが、奈津子にはそれがからかいと写ったようだった。

巡は無言で肩をすくめ、草鞋は片手で頭の後ろを掻いて席に戻った。

巡はバイトの隙間時間のスマホチェックに戻り、所長と事務員は書類整理に没頭する。

しばし、沈黙が便利屋AIAIの事務所を支配した。

単なる職場の雑談で終わるはずだったこの話題は、しかし、別日新たなる展開を見せるのである。

 

2 「これはなかなか……壮観ですな」

「宝くじの成る木みたいですね」

灰色のTシャツにジーンズ、野球帽とタオルをかぶった草鞋と、派手な原色のシャツにハーフパンツを履いた巡は唖然としてその木を眺めていた。

場所は聖神社境内、社務所前。

ジンクスの舞台となっているところである。

ふたりの目の前には高さ十メートルほどの常緑樹が枝に多くの封筒をぶり下げられて立っていた。その封筒は多くが宝くじ入りで、中には茶色い封筒もあるが、おそらくサイズからしてサッカーくじの用紙が入っている。

つまり、ジンクスを信じた人々によって木に吊るされた宝くじの群れというわけだ。

「いつ頃からこんな状態なんですか?」

草鞋の問いに、彼の脇に立つポロシャツにチノパン姿の初老の男は手ぬぐいで汗をふきふき答えた。

「もう一週間くらいになるかぁねぇ……。最近、木に妙なもんがぶら下がっとると思ってたらあっという間にぎょうさん増えて……。ごみかと思って取っちまうと取りに来た人に文句言われるし、おおぎょうしてるんよ。どうにかしてくれんかね」

初老の彼は聖神社の管理をしている鈴木という男だった。秩父弁のきつい小柄な男だが、もっさりとした白い眉と小さい目に愛嬌がある。

「どうにか、と言われても……」

草鞋は腕を組んで木を見上げる。幹は人一人分の胴体くらいで、枝は扇状に伸びている。葉はやや細い円形で、常緑樹らしく夏の光にぴかぴか光っていた。

まだ七月半ばだというのに境内は真夏のように暑く、境内を囲む木々が日光を遮っていなかったら、三人はとてもそこに長くいられなかっただろう。

上空からミーン、ミンとセミの声が降ってくる。見上げた空は青く、どこまでも高く続いていた。どう見ても夏の景色である。

草鞋は頭にかぶっていたタオルを取ると、汗の拭きだす首筋をぬぐった。

「ここに宝くじを吊るさないでください、と立て看板を置くとか……」

「もう置いとる」

鈴木は木の脇の小さな立て看板を指さした。

「ここに宝くじを吊るしてもご利益はない、と市報やホームページに載せるとか……」

「もうやっとる」

鈴木の返答に、草鞋は頭を抱えた。

「一旦広まった噂を否定するのは難しいですもんね。ましてやこのジンクスはネット上で主に広がっていますから、訂正するのは難しそう。……宝くじを拾得物として警察に届けるのではだめなんですか?」

巡がハンカチで眉間の汗を拭きながら鈴木に尋ねた。

「そうする案も出るには出たけどねぇ……数が数だから。持ち主が現れても本当に本人のものか確認するのに手がかかるべ」

「なるほど」

巡と草鞋のふたりが同時に頷いた。

不意に、草鞋が何かに気づいて鈴木に尋ねた。

「この木、ご神木なのにしめ縄が巻いてありませんね。何か事情が?」

草鞋の問いに鈴木が奇妙な顔をした。

「何言ってんだい。うちのご神木はこの木じゃねぇよ。ほれ、あっち」

鈴木の指さす方角を見ると、駐車場から境内に続く階段の向こう、鳥居の隣に、しめ縄の巻かれた二本の大木が立っていた。

草鞋はちょこちょことそこに近づく。

見上げると、二本の木の幹はまっすぐに天へと続いていた。

「杉……ですか?」

「あぁ」

隣に来た鈴木が頷いた。

「こっちがご神木だよ。社務所の前のアレは、鎮守の森の木が妙なところに根付いてね。さほど邪魔でもないし、切らずにおいたんだが」

巡が追いついて、杉のご神木を見上げて、言った。

「ずいぶん枝が高いですね。こっちに宝くじを吊るすのは無理だなぁ」

草鞋も頷く。

「だから社務所前の木がジンクスで指定されたんだろうな。しかし、ご神木と嘘をつかなくてもいいだろうに……?」

首をひねる彼に、鈴木が声をかけた。

「とにかく、宝くじが吊るされるのをどうにかしてやめさせて欲しいんよ。甲山さんの息子さんに聞いたけど、そういう知恵は得意なんだべ。頼むわ」

 

3 鈴木が用事があると言って立ち去ってからも、ふたりは聖神社に残ってあれこれと調べていた。これといって何かを見つける目的があるわけではないが、調べまわることで、何か依頼を達成できる手掛かりが見つけられるかもしれないからだ。

「誰が流したともしれない漠然とした噂を消せとは、甲山(こうざん)も無茶を言う……」

草鞋は聖神社の本殿を目の前に、腕を組んだ。

甲山岳史(こうざん・たけし)は草鞋の中学生時代の同級生で、秩父神社の近くで味噌ポテ堂という和菓子屋を経営している。秩父の若手経営者の中では顔が広く、観光地として秩父を売り出すイベントにもしばしば関わっているので、その縁で鈴木と知り合ったらしい。

草鞋を知恵者として評価してくれているのはいいが、このような無茶ぶりは正直勘弁してほしかった。

聖神社は観光地として有名なわりに、小さい印象のある神社である。国道から入ってすぐ駐車場があり、手水舎を過ぎてやや急な傾斜の階段を上ると、教室一個分ほどの広さの境内に出、正面に本殿、本殿の左隣に和銅出雲神社という小さな神社、真横に和同開珎についての解説等が置かれている小さな建物がある。本殿に近寄れば、真ん中に鈴と賽銭箱があるのは通常の神社と同じだが、左側に神社からご利益を得て高額当選を果たした人々からのお礼状が貼られており、賽銭箱の周囲には開運グッズがずらりと並んで売られている。各種お守りは勿論、絵馬、宝くじ入れなど種類は様々だ。そして本堂の左側には大きな和同開珎の看板が置かれており、その前には和同開珎の解説の看板が立てられている。そのさらに左横には絵馬掛所があり、隙間もないほど絵馬がかけられていた。この神社に絵馬掛所は三か所あり、残りの二か所は入口の鳥居の両隣だが、そちらも願掛けの絵馬がみっしりとかけられている。そして本殿の右横に社務所があり、その前に例の木があるのであった。

草鞋はため息をついて、本殿に近寄った。左側の高額当選者からのお礼状を眺めてみる。

「宝くじで一千万当たった……。年末ジャンボで二百万……。ロト6が的中……。仮想通貨で資産が百倍に、だと……?」

読んでいるうちに自分も願掛けしたくなってきた。後で絵馬を購入しよう。

草鞋はそのまま賽銭箱周囲の開運グッズを眺め始めた。お守り、絵馬、御朱印帳に開運札と、グッズはなかなか豊富だ。どうやら木箱に代金を入れるシステムらしく、そのあたりは不用心だが。

ふと思いついて、草鞋は神社全体を見回した。右の絵馬掛所で絵馬を見ていた巡が気づいて話しかけてくる。

「すごいですよ所長。本名と住所をおしげもなく絵馬に書いて奉納している人がけっこういる。……どうしました?」

「……いや」

草鞋は首を振った。

「札所くん。ここの駐車場に自動販売機はあったかな?」

巡は鳥居の方を見て、首を傾げた。

「なかったと思いますけど。喉が渇きましたか? 近くのコンビニで飲み物買ってきましょうか」

「いや、それには及ばない」

草鞋は手を振って断ると、本殿の階段を下りて巡のいる絵馬掛所へ近づいた。

何枚かの絵馬をめくってみる。

「本当だ。詳細な番地まで書いている者もいるな。これはなかなかの個人情報……」

つぶやいて、草鞋はしばし考えこんだ。

例えばジンクスを信じて宝くじをこの神社に吊るしに来た者が、ついでに絵馬を買って奉納したとする。ご丁寧に住所と名前を書いて。後はそれを集めて名簿化すれば、いくらかのお金になるのではないか。

「……手間暇のわりに儲けが少ないな。違うか」

草鞋は息をついて、くるりと向きを変えた。無言で社務所前の木に向かう。

巡はなおも感心して絵馬をめくっていたが、草鞋が移動したのに合わせてついてきた。

草鞋はあらためて木の枝に吊るされた無数の宝くじの封筒を見ていた。糸やら輪ゴムやらで吊るされた宝くじの封筒は、まるで木に実った果実のように見える。いずれも封筒は紙がぶよぶよ波打っていて、脈動しているように見えるのが不思議だった。

「なんでわざわざ宝くじを洗わせるんですかね。水の名前が『秩父清らか』だから清めるためとでもいうんでしょうか」

巡が言う。

草鞋は頭を掻いて、

「自然発生的な噂だったらそうかもしれんな。聖神社の手水舎は普段は水がとめてあるし、近くに自動販売機もない。だったら秩父ブランドの『秩父清らか』で洗えば、という発想になるかもしれん。だが……」

草鞋は首をひねった。

「だったら本式のように、和銅遺跡近くの川で洗わせればいいのにな」

 

4 その後三十分ほどあちこち調べ廻って、草鞋たちは聖神社を後にした。

炎天下の作業でふたりとも喉がカラカラになったので、すぐさま近くのコンビニに入って飲み物を買う。

巡は新発売の緑茶のペットボトルを手に取ってすぐにレジに向かったが、草鞋はミネラルウォーターの棚の前で立ち止まってしまった。

会計を済ませごくごくと緑茶を飲んだ巡は、そんな草鞋の様子に気づいて近づき、彼の視線の先を見た。

……特に不自然な点はない。有名ブランドのミネラルウォーターが整然と並んでいるだけだ。

「どうしました、所長?」

草鞋は巡のいぶかしげな視線を受けて、そっとミネラルウォーターの棚を指さした。

「見たまえ。……『秩父清らか』がない」

「え? あ、ほんとだ」

確かに、棚のラベルには『秩父清らか』と製品名が貼ってあるのに、そこに「秩父清らか」のペットボトルはなかった。

「売り切れですかね。他のを買えばいいんじゃないですか」

巡は言ったが、草鞋は頭を抱えてしまった。

「それはダメだ。私はミネラルウォーターは『秩父清らか』と決めている」

「どうして?」

巡はそんなに草鞋は愛郷心が強かったかと不思議に思ったが、次の草鞋の台詞で謎が解けた。

「この辺りでは、ペットボトルの飲み物は『秩父清らか』が一番安いんだ」

 

5 二週間ほどが経過した。

草鞋と巡は相変わらず日々の仕事に追われ、巡はいつの間にかすっかり聖神社のジンクスを忘れた。もともと宝くじに興味が薄いのである。

しかしその日、ジンクスについて口にした意外な人物がいた。事務員の奈津子である。

「所長、聖神社のジンクスを打ち消す依頼って、どうなりました?」

業務時間が終わるギリギリで、奈津子は机の上を整理しながらそう草鞋に問いかけた。

「まだやり方を思案している最中だが……どうした、奈津子くんがそんなことを聞くなんて珍しいな」

請求書を確認していた草鞋は、不思議そうに首をかしげる。

巡はコピー機の前で(そういえばそんな依頼もあったな)と思い出していた。

「友人がどこからかその噂を聞きつけて、効果があるならやりたいが、地元民としてどうなんだって聞いてきて。神社に迷惑だからやめた方がいいとは言ったんですけど」

奈津子はそう言って肩をすくめる。

「そりゃあやめてくれると助かる。地元民と奈津子くんに言ったということは、ご友人は遠くにいるのか?」

草鞋の問いに、

「群馬と東京の友人からそれぞれ聞かれました」

奈津子が答える。

「なんだなんだ、ずいぶん噂が広まっているんだな」

草鞋は驚いた様子だ。

「ネット上で広まっているみたいですからね。今じゃ、面白そうなニュースはどんなローカルな話題でも一瞬で日本どころか世界中に拡散されます」

奈津子が煩わしそうなため息をつく。

「特にひとりが、オカルト好きで追及が激しいんですよ。どこの店で買う『秩父清らか』がいいんだ、とか、いつの晩に供えれば一番効果があるんだ、とか。いくら地元民でもそこまで知らないっていうか」

「そりゃあ大変だ」

草鞋が笑う。

「いつの晩、ねぇ……」

机上のカレンダーを手に取って、草鞋は一瞬、真顔になった。

「今夜だ」

「え?」

奈津子と巡の声が重なった。

「何がです、所長?」

奈津子の問いに、草鞋は答える。

「ジンクスの効果がもっとも高くなるのは今夜だ。札所くん、悪いがバイト時間を延長してくれ。今夜、聖神社へ向かう。奈津子くんも協力してくれ」

彼の瞳はまっすぐ、卓上カレンダーへと向かっていた。

 

6 その晩。真夜中。

草鞋と巡、そして奈津子は、聖神社の社務所の裏にそっと身を寄せていた。

境内は街灯がひとつあるきりで、全体を照らすには程遠い。

鎮守の森は鬱蒼として深く眠りについていた。時折生暖かい夜風が吹き、汗ばんだ三人の肌を撫でる。

夜空は雲がかかって、おせじにも明るいとは言えなかった。出ているはずの月も、よく見えない。

「……いつまで待てばいいんですか、所長」

なぜかいったん家に帰され、全身黒づくめに着替えさせられた巡が、声を潜めて草鞋に尋ねた。

「まだだ。少なくとも夜明寸前までは待ちたい」

草鞋は答える。彼は相変わらず灰色のTシャツにジーンズ姿だが、手に懐中電灯を持っている。スイッチは入れていない。

「カメラで何を撮ればいいんですか? 私、あんまり自信ないんですけど」

実家からデジタルコンパクトカメラを借りて来させられた奈津子が、不安そうに草鞋に尋ねる。

「今にわかる。それまで辛抱してくれたまえ。……おや?」

草鞋の声を契機にふたりが耳を澄ますと、たすたすと誰かが境内へと続く階段を登っている音がした。

「……今、自動車の音しましたっけ?」

巡が声を潜めてふたりに尋ねる。

「いいや。近くに車を止めてから歩いてきたということだな」

草鞋が小さな声で答えた。彼が興奮しているのが呼吸の深さで分かる。

やがて足音はざっざっと境内の砂を踏む音に変わり、まっすぐに三人のいる社務所の方へと向かってきた。足音の持ち主の影が街灯に照らされてこちらの方へ伸びてくる。

草鞋たちはいっそう身を小さくして、人影の動きを見守った。

それは二十代後半に見える若い男だった。黒のTシャツにジャージのズボンという地味な格好で、足元はスニーカー。安物のデイバッグを肩にかけ、片手に光るものを持っている。

三人が注視すると、それはごく普通の鋏だった。

若い男は周囲に対して警戒する様子もなく、社務所前の件の木まで来ると、何のためらいもなく吊り下がっている宝くじの封筒の糸を鋏で切り始めた。一枚、二枚、三枚と次々切って封筒をデイバッグに放り込む。

「宝くじ泥棒……!」

巡が気づいて小さな声を上げた。

草鞋は無言で頷き、奈津子に指示してデジタルカメラで男が宝くじの糸を切ってはデイバッグに入れる様子を写真に取るよう伝える。

草鞋が彼に懐中電灯の光を当てた瞬間、奈津子は言われた通りシャッターを切った。

突然光を向けられ、連続するシャッター音にさらされた若い男は、目を剥いて草鞋たちの方を見、ちっと大きく舌打ちして三人に背を向けた。

鋏も、切り取ったばかりの宝くじの封筒も放り出して脱兎のごとく駆けだす。

巡は反射的に彼の後を追おうとしたが、草鞋に手で制されて立ち止まった。

「神社に放置されていた宝くじを持ち帰って何が悪い、と開き直られればそれまでだ」

草鞋は言って、ふたりを手招いて社務所の陰から境内へと足を踏み出す。

木に吊るされている宝くじの袋の糸はすべて切られたわけではなく、まだ十数枚の袋が吊り下がっていた。

「あれ。……この間見た時より今日のはずいぶん数が多いんですね。一晩供えればいいだけなのに。週末だからかな?」

巡が宝くじの封筒の数を数えて言う。

草鞋は「それもあるだろうが」と頷いて、

「今日は特別ご利益があると考えられる夜だからな。だから、この一か月で宝くじを供える人間がいちばん多いと思った。もし宝くじを盗もうとする輩が現れるとしたら、今夜を狙うだろうと考えたんだ」

思った通り、と腕を組んでひとり納得する草鞋に、ふたりが疑問の視線を向ける。

草鞋はそれに気づいて、つい、と右手の人差し指を天に向けた。

流れる雲の隙間から、黄金の月がゆっくりと現れた。

「……満月!」

どちらともなく感嘆の声が漏れる。

「満月には不思議な力が宿っていると考える人間は多い。どうせ夜の神社に宝くじを供えるなら、満月の夜にすればより縁起がいいと考える人間も大勢いるだろう」

草鞋は手近の枝に下がっている宝くじの封筒をぴん、と指ではじいた。

「サマージャンボ宝くじの抽選は八月十四日だ。その日付より前の満月となると今夜だけ。だから私と同じことを考える人間は必ず今夜宝くじを吊るすし、それを狙う不埒な輩は今夜宝くじを盗みに来る。我々はその証拠写真を撮り、彼を追い払えばいい」

「でも、それじゃあ」

巡が疑問を呈した。

「宝くじ泥棒は防げても、噂は消えないんじゃないですか? 今夜以降もきっと宝くじを吊るしに来る人は出ますよ?」

草鞋はそこで、ヘタなウインクをバチンと決めた。

「そこは」

右の人差し指で巡を指さして、

「君の出番じゃあないか」

 

7 「そういやぁ、聖神社のジンクスは泥棒が宝くじを盗むために流した嘘だったんだって?」

数日後の晩、札所家。

巡の一回り年上の兄、礼一(れいいち)が、父との晩酌の席で家族に話しかけた。

彼の祖父母と妻と子供たちは既に寝室に入っていたので、その場にいたのは両親と弟の巡だけだ。

札所家のリビングは広く、家族全員が座れるテーブルが真ん中にでんと鎮座しているので、今、四人が座っていると両端のスペースが中途半端に余る。

「その話は俺も聞いたな。同僚がFacebookで見たと話していた。騙されて宝くじを吊るしに行ったやつも職場にいたぞ。結果がどうなるか楽しみだな」

父の繁(しげる)がビールを片手ににやにや笑う。母の静香(しずか)が麦茶を手に首を傾げた。

「宝くじなんか盗んでどうするのかねぇ。当たるとは限らないのに」

いやいや、と礼一が手を振る。

「宝くじは一枚三百円だよ、お母さん。十枚単位で買うから少なくとも三千円だ。うち一枚は確実に当たるから、数を獲れば損はしないさ」

しかし静香は納得しない。

「でも、宝くじには番号が振ってあるでしょ。もし吊るした人が番号を控えていて、当選番号と控えていた番号が一致したら、盗んだ宝くじを持って当選したと名乗り出た人が泥棒だとわかってしまうんじゃない?」

礼一は頷いた。

「そこが犯人の頭のいいところだよ。犯人はバラで宝くじを買って、絶対に封筒を開けるな、とジンクスの中で指示したんだ。バラだから宝くじの番号は不揃いだし、封筒を開けなければそもそも番号が見れない。念には念を入れたんだね」

うんうんと礼一はひとり納得して、手にしていたハイボールをあおった。酒の強い彼はとっくにビールを飲み終えてハイボールに移行している。普段は寡黙なのに、酒が入るとおしゃべりになるのは祖父と共通だ。

「秩父の水で宝くじを洗うってのも、何か意味があったのかね。確か……『秩父清らか』だったか」

繁がつまみの漬物をポリポリと食べながら言った。

礼一は我が意を得たとばかりに飛びついて、

「それは犯人が聖神社の近くのコンビニに勤めていたからこそ付けた条件だったんだ。聖神社の近くで『秩父清らか』を売っているのはそのコンビニだけだったんだね。つまり、聖神社に宝くじを吊るしに来た人が宝くじを洗うために『秩父清らか』を買うのはそのコンビニだ。彼はレジに立つことで『秩父清らか』を買う人数を数え、最も人数の多い夜に宝くじを盗みに行ったんだよ」

ほぉ、と繁は感嘆の声を上げた。

「頭のいい犯人だな。聖神社に一番近いコンビニというと、ファミリー・ポートか?」

静香が訂正した。

「違うわよ。エイト・トゥエルブよ」

礼一が首を傾げた。

「ラーソンじゃなかったっけ?」

巡ははてなマークを浮かべて止まってしまった家族の面々を眺めながら、ひとり、黙々とピザ・トーストを頬張っていた。

まさかこんなにうまくいくとはな、と思いながら。

 

8 「フェイク・ニュースを流せばいい」

と、草鞋は言った。

ネットやパソコン関係に疎い草鞋がよくその単語を知っているものだと巡は思ったが、さすがの彼も新聞やTVのニュースは見ているので、それを通じて知ったのだろう。

宝くじ泥棒を取り逃がした日、明け方の便利屋AIAIの事務所のことである。

「奈津子くんの言った通り、人は面白いニュースに飛びつくものだ。もし興味深いニュースがあってそちらに注目していたとしても、別のより興味深いニュースがあったらそちらに目が向いてしまう。そして、人は事件や謎解きに弱い。もし不可思議な現象があったとしても、それに論理的・科学的な理屈をつけて納得してしまったら、案外するっと忘れてしまう」

「……つまり?」

奈津子の問いに、草鞋は胸を張った。

「今回のジンクスは           泥棒が宝くじを盗むために流した罠だった、というオチをつけてネット上に流すんだ。理屈は私が考える。一応の筋が通れば、ジンクスは嘘だったという噂の方が注目されて、ジンクスは忘れ去られるだろう」

奈津子は「なるほど」と感心して頷いた。

巡が尋ねる。

「ネット上に噂って……誰が流すんです?」

草鞋は満面の笑みで巡を指さした。

「僕?」

「君はFacebookもTwitterもLINEもやっているだろう。あと……まとめサイトだったか? まぁとにかく、そういうのを使って噂を流してくれたまえ。バイト料を奮発しよう」

「簡単に言わないでくださいよ。フェイク・ニュースなんて流したことないですよ。ていうか、僕のSNSを勝手に利用しようとしないでください」

巡は抗議したが、草鞋は聞く耳を持たなかった。

「奈津子くんが撮った泥棒の画像を使えば、より真実性のあるニュースになるだろうな。そうだ。巡くんだけじゃなく、甲山や伊佐間(いさま)にも協力してもらおう。奈津子くんもご友人にそれとなくフェイクな情報を伝えてくれ」

草鞋は言い終わると、ふわぁと両手を上げて大あくびをした。

「今日は疲れたな。もう夜が明ける。……ふたりとも、今日は臨時休業だ。さいわい依頼もないし、私も帰ってひと眠りしよう」

帰り支度を始めた草鞋に、ふと奈津子が尋ねた。

「それじゃ、あの泥棒が宝くじを盗みに来たのはただの偶然なんですか? てっきり本当に、あの男がジンクスを流したんだと思ったんですが」

草鞋が首を振る。

「可能性はなくはないが、そんな七面倒くさいことをする人間が実際にいるとは考えにくいな。『秩父清らか』で宝くじを洗う理由も不明だし、宝くじが拾得物として警察に届けられていたら、ジンクスの流し損だ」

なるほどと頷いて、奈津子は続けて問う。

「そういえば、どうして巡くんを黒一色に着替えさせたんです? 結局必要なかったじゃないですか」

草鞋はぎくりと体を硬直させ、そっと巡の表情を窺った。

「……泥棒が来るという確証はなかったからな。いざとなったら巡くんを泥棒役に仕立てて写真を撮ろうと……」

草鞋の声はそれを聞く巡の表情の変化につれてどんどん小さくなっていった。

「さすがにひどいです、所長!」

巡の怒声に、草鞋は事務所のドアを開けて逃げ出した。

(おわり)